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執筆者の写真prayersmarket

終わりと始まりの場に立ち続ける

この仕事をしていて、シンドイなと思うのは、友人や知人から生前にお役目を頼まれることです。

(もちろん、わたしに託してくださることは大変ありがたく、そのことで少しでも安心していただけるのであれば、本望なのですが。)


ご相談を受けた瞬間から、わたしの頭の中では旅立つ日のことを想定したシミュレーションがはじまり、その日が来て欲しくないのに、その日を待つことになるからです。


自分が死神になったような、死出の門番になったような…なんとも言えない気持ちになります。


仕事柄、"死"はとても身近にあります。

でも、こうして身近な人の"死"に向き合うと、やはり"死"への恐怖を感じている自分に気づかされます。


この恐れはどこから来るのか。


思考が行ったり来たりしながら、見つからない答えを探しています。


でも、ふと思うのです。


わたしはいつでもその方の"死"ではなく、"生"を見つめて仕事をしてきたと。


亡くなられてから出逢うことになった方とも、やはりわたしは、その方の"生"を見つめて仕事をしてきたと。


いまもそうです。


わたしは、その方の"生"を見つめていると。


最期の最期まで、その方の"生"を見つめ続けていくと。


そして、死してもなお、わたしはその方の"生"を感じ続けていこうと。


人は死んでも魂は生き続けると信じているから。


だから、いつまでも慣れることのないシンドイという気持ちと共存しながら、ただただ"生"を見つめながら、終わりと始まりの場に立ち続けていよう。


そう思っています。


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